昨今はドラマやアニメの普及のみならず、ゲームなどのメディアも一般的になってきたことから、シナリオライターの重要性が増しています。
シナリオライターになる練習にはどういったものがあるのでしょうか。
作品を見て技術を盗む
シナリオは基本的に一般には流通されることが多くありません。
しかしこれはプロにとっても同じことで、興味のある作品があったからといってシナリオや脚本を取り寄せることは容易ではありません。
そもそも実際のシナリオや脚本を閲覧して参考にできることは、おおよそ書式に関する事柄になります。
もちろんそうしたシナリオを実際に見ることで、シナリオをライティングするスキルの上達にもなることでしょう。
しかし実質的には、シナリオを読み込むことより、完成形である作品自体を見ることの方が量を見ることができます。
作品といえどもメディアによって様々ありますが、映画・ドラマ・アニメなどを見ていて、良かったシーン、また良くなかったシーンなどは自分で見分けることができます。
これが誰にとっても「客観的に良いシーン」なのか自分にとって「主観的に良いシーン」なのかは見極める必要がありますが、少なくとも後者は自分の特性を磨く起点になります。
つまり自分が好きなシーンは、技術を盗めば自分のシナリオにも転用できるのです。
ここで間違ってはいけないのは、そのシーンの設定と全く同じシチュエーションになるように仕向けるのではなく、自分が演出する上でどう印象的で真実味があるものにするかが大事です。
たとえば登場人物が死ぬシーンは映画・ドラマ・アニメ、またその他のメディアいずれにとっても重要なシーンになります。
これを印象的にしたいからといって有名な、たとえば「太陽にほえろ!」の殉職シーンを流用したとしても、それでは視聴者から反発をかいかねません。
いかに死なせるか、もしくはいかに死なせたように見せて裏切るか、というのはシナリオライターの見せ所でもあります。
日頃からシナリオに活用できることを探す
シナリオでは登場人物の日常を描くことも多いので、その演出として自分がふだんから感じていることを流用することなどができます。
しかし自分がふだん感じていることは、自分と似ている人物の日常にしか反映できません。
ですが日常の中でも、友人との会話や色々な人との付き合いの中から、「こういう人はこう感じているのではないか」と気づくこともあるでしょう。
そうしたものは極力メモなどを取り、参照できるようにしておくのも良いでしょう。
究極的にはそのメモの内容が、客観的事実であるかどうかはどうでもいいのです。
極論をいってしまえば、シナリオにとって大事なのは演出として視聴者に伝わるかどうかです。
これは「嘘をいってもいい」ということと同義ではありませんが、演出の上ではある人物に嘘をいわせた上でその嘘を他者が追及する、という物語を構築することもできます。
まとめ
○実際に作品を見て、良いところはマネる。
○日頃からシナリオを書く練習になる要素を探す。
○演出上、有効になりうるものを常に探す。
執筆の練習、といってしまうとおぼろげに感じられがちですが、その材料は毎日の些細なところに隠れています。
そうした意味では、シナリオライターとして自分なりの練習法を見出すことができるようになるのも大事かもしれません。