脚本家になりたい人向け! 一日でできる練習の内容は?

脚本家になる練習として、短期的なものと長期的なものがあります。

その中でも、一日でできるような短期的なものにはどういった内容があるでしょうか。

スポンサーリンク
kyakuhonka-infoレクタングル大

日常は脚本の素材であふれている

毎朝、混雑した通勤列車に乗っているサラリーマンでも、その一日の生活は脚本の素材に十分なりうる内容を秘めています。

というのも脚本で「毎朝、混雑した通勤列車に乗っているサラリーマン」というキャラクターを描く必要があれば、脚本でそれをいかせるからです。

他にも上司にきつく怒鳴られてうんざりすることがあれば、それは実感からそういうキャラクターを描く土台ができているという意味にもなります。

もっと抽象的に、「いつか見返してやる」と思うことがあるならば、謀反を起こす人物の心情などとその感情をオーバーラップさせることもできます。

役者を目指す人の中には、自分の一生の中で役といういくつもの人格を追体験できるところに意義を見出す人もいるようですが、その点でいえば脚本家は登場人物をすべて追体験しなければなりません。

また自分が主体的に感じたことのみならず、他人とのコミュニケーションの中で見出せるものもあります。

親友が言った何気ない一言が心に残ったり、また街中でふと見かけた異性の気になる仕草だったり、そういった内容も活用できるわけです。

ファム・ファタールのような蠱惑的な女性を描くときは、そうした毎日の中にある些細な一瞬をいかすのも手でしょう。

脚本家の情熱がキャラクターを動かす

脚本は指示を与えるもので、脚本家はいわばその司令塔になるのですから、すべてのキャラクターを動かさねばなりません。

そんな中でどうしても脚本家本人が心情を理解できないキャラクターというのもいて然るべきですが、そうでない主要なキャラクターなどはおおよそその心情を把握していなくてはなりません。

そういう意味では脚本家は様々な経験をしていた方が良いのです。

ここでいう情熱とは、そのキャラクターの内に潜める情熱のことのみならず、脚本家がそのコンテンツを良いものにしようという気概のことも指します。

たとえば政府転覆を図るような人物が登場する場合、実際にそう試みるまでの情熱がなくとも、それに迫る気概がなければその人物は生きたものといえません。

演出家や創作をする人には、よく秀才型と憑依型がいるといわれます。

秀才型の人は冷静な観点で執筆や創作を行いますが、憑依型の人はその登場人物になりきって創作をします。

これは俳優の人を例にするのがわかりやすく、実際にドラマなどを見ていても、あまりに元々の俳優の人のキャラが濃すぎて、役がぼやける人がいたりします。

そういう人は憑依しきれない人である可能性が強いので、前者の秀才型の役者の方だといえるでしょう。

憑依型の人はこうしたキャラクターの心情を表すのに長けていますが、かといって秀才の人も冷めたままでは見ている側も白けさせてしまうので、表現を磨かねばならないのです。

しかしどのような人でも情熱はもっているもので、その自分の情熱を別の形状で表現すれば訓練の歳月が大きく隔たりになることは少ないわけです。

まとめ

○何気ない一日の中でも脚本の材料たりえるものはいくつもある。
○自分の今もっている情熱を、変換してキャラクターの情熱として表現する。
○演出をする自分の実感を表現することが大事。

毎日の反復の訓練ですと、執筆に関する修辞的なテクニックを磨くような内容が大事になります。

しかし単純に何気ない一日というものは、むしろ何気ないからこそ重要な演出の素材たりえるのです。

スポンサーリンク
kyakuhonka-infoレクタングル大

kyakuhonka-infoレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする